悠々徒然のうた~過去と、鬱と、ミライと私~

19歳歳上のダンナさんとのちょっと変わった日々や日常や毒親からの脱出、鬱体験などなど思う事考える事をつづります。

虐待を受けてる子供は虐待に気付かない

まさに、現実はタイトル通り。

 

物心ついた時からの虐待は、疑いもしない普通の日常。

 

例えば、私は常に父親から「ブス」と言われて

「お笑い芸人になるしかない」と言われ続け、

たまに可愛がってくれてると思うと、急に口を塞がれて息が吸えないようにされたり、

横になってると吐きそうになるまでお腹を足で踏まれました。

 

それでも当時は「可愛がってもらってる」と思ってた。

 

笑顔で接してた。

 

 

少しの違和感も感じないまま、自分はブスなんだ、お笑い芸人にしかなれないんだ、

口を塞がれること、お腹を踏まれること、

全て父親からの愛情だ、と思ってた。

 

 

母親は、泣いたり落ち込んだりすると凄い勢いで時にヒステリーに怒った。

 

だから、泣いたり落ち込んだりしたらダメなんだ、と子供の私は思った。

 

具合が悪くて学校を休む時も、具合悪そうにしてるだけで罵声を浴びせられた。

 

悩みを話すだけでも怒られた。

 

 

それは、反発ではなく私の脳に心に染み入り自分はそういう人間なんだ、と思った。

 

だから、《虐待》とは思えないのです。

 

 

【私】が悪いから親からそういう扱いをされるんだ、と。

 

 

結局蒸発した父親も亡くなってしまった母親も

残したのは愛情ではなく、借金だった。

 

何か背負っていないと生きてる心地がしなくなっていた私は、

背負う事が常となり、背負う事が当たり前になり、

満たされない気持ちからお金を使うようになり自分も借金を作り背負い込んだ。

 

 

私はこれが普通だった。

 

でも、これが異常だと分かったのは似たような体験をした人の手記を見てからだ。

 

 

あ、うちの家庭はおかしかったんだ。

 

 

それに気付けば自分でも建て直せる。

 

それに気付かなければ一生自分に呪われる。

 

 

 

虐待から物理的に逃げても、心は違和感を覚えまた虐待の日常にハマる。

 

周りの手助けは勿論大事。

 

でも、周りの人間がするべき事は虐待から引き剥がすだけではなく、

本人に気付かせて自立を促すことだと思う。

 

言葉じゃなくて、体感としてね。

 

世の中、感情が全てです。

 

感情が全てを動かす。

 

感情って怖いよ。

 

 

だから、自分が心地よい感情を感じられるように居続ける事が簡単なようで難しいんだ。

 

しかし、一番大事な事です。